縄文晩期は、寒冷期で 食糧難による争いが増えました。 備蓄が必要になり、水稲栽培も組織化されていきます。 野焼きしていた土器も、 寒気の中で昇温させるために覆い焼きを始めました。 窯構造になったため、結果的に野焼きより焼成温度が上がり、 土器が焼きしまって強度も上がりました。 手捻りでは、厚みが不均一で焼成が高温になるほど歪みで割れやすくなります。 そのため、簡易的なろくろを使い、凹凸を無くし、より薄く軽く早く成形するようになって、 見た目と性質が全く違う「弥生土器」となっていきます。 「弥生土器」は、外国人が伝えた異文化ではありません。 遺跡を見れば、元からあった倭人文化圏において、 気候変動に沿って改善していく日本人の姿が浮き彫りになるのです。 そして技術革新や争いが起こるタイミングは、 温暖化より寒冷化の方が深刻なことを物語っています。 現代の電力化は温度変化には弱く、 日本の持つエンジンのノウハウは決して捨ててはいけない守るべき技術だと感じます。